オタクのいちばん長い日 in ハンブルク

この文章は、リュックサック with パスポート・財布・滞在許可証・学生証・ビザ・一眼を丸ごと盗まれたオタク与太郎が記す悔恨のポエムである——

 

盗難前日まで

ボン→コペンハーゲンリューベック(1泊)→キール(1泊)→ハンブルク(2泊)→ボンという4泊5日の旅程を組み、実行した。列車が船に乗って運ばれる「渡り鳥ルート」に乗ったり、ヨーロッパ北方の貿易を牛耳ったハンザ同盟の在りし日の栄光に思いを馳せたり、二次大戦中のUボートの中に入ったり、ハンブルクから往復4時間かけて戦車博物館を訪問してティーガーⅡのデカさに圧倒されたりするなど、充実した旅行を過ごしていた。いずれの宿泊先も予算の都合からいわゆるホステルと呼ばれる4~8人の共同部屋であった。コトが起こったのはハンブルクの2泊目である。コトが起こる前の夜には、いつものように地ビールを1リットルほど飲み、インターネットで遊んでいた。そして、いつものように貴重品が入ったリュックサックを百均で買ったワイヤー錠でベットにくくりつけ【失敗1】、リュックが目立たないように上着を掛けたのち、24時頃にリュックの横で眠りについた。

 

盗難当日

8:15

起床する。目覚ましをかけなくていい日だったので、気持ちの良い朝であった。ベットからお手洗いに向かう。お手洗いで歯を磨いていたときに、なにやら部屋が騒がしいことに気付く。歯磨きを終え外に出ると、いかつい武装をした連邦警察が5人くらいいた。何事かと思えば、同室にいた韓国人女性がロッカーの鍵を破られてスマホ・現金・パスポートを盗られたらしい。あらまぁ災難なことで、と呑気に自分のベットに向かい、歯磨きセットをリュックにしまおうとして、リュックがあるであろう上着の上に手をかけた。しかし、私の手は大気を切り裂き、ベッドの柔らかい感触が手に届いた。その後も2,3回ほどベッドに向かって猫パンチをしたが、手に伝わるのは自分の体温で暖かいベッドの感触のみであった。15秒くらいして、自分も盗難の被害にあったことに気が付いた。ベッドからおりて、カタコトのドイツ語で、一語づつひねり出すように、警察官に伝える。「アノ、ワタシノ リュックガ ナイノデスガ……」警察官は怒濤のドイツ語で返す。「え!あなたのリュックもないのね!そうなのね!」寝起き5分でこの事態である。思考は乱れに乱れ、「ヤー、ヤー……」と返すことしか出来なかった。

警察官の聴取が始まる。何を盗られたか?メールアドレスは?電話番号は?といった具合である。ただ、全ての聴取がドイツ語か英語で行われる。私の語学スキルは、日常会話ならドイツ語の方が多少はできるが、英語はからっきしという具合である。しかし、会話は自分が最も苦手とするところであり、これから何回も「モウスコシ ユックリ シャベッテクダサイ……」と何度も言うハメになる。ちなみに韓国人女性は英語が話せるのであんまり苦労してなかった。みんなも英語を勉強しよう。とりあえず盗難届とパスポート紛失届をもらうまで部屋に待機すればいいということは理解した。

 

9:30

警察が出て行った後、親上に連絡。クレジットカードの停止をする。また、ボンに居る日本人男性陣に連絡をして、助けを求める可能性を示唆する【偉かった点1】スマホは充電するために自分の体の下に敷いて寝ていたため、被害に遭わなかった。不幸中の幸いである。スマホにはハンブルクからケルンへ帰る列車の乗車券が入っており、とりあえず退路は確保できていたことが精神の安定に寄与していたのかも知れない。また、現地で開いたオンラインバンクはスマホがあれば現金を引き出せたため、生存に支障は来さなかった。ちなみに同じ被害にあった韓国人女性はスマホも盗まれており、かなり取り乱していた。「iPhoneを探す」アプリのために自分のiPhoneを貸してあげたが、結局見つからなかった。

韓国人女性「iPhoneを貸してくれませんか」

ぼく「いいですよ」

韓国人「ありがとう」

ぼく「ケンチョナヨ〜〜〜」

韓国人「(笑いながら)ダイジョウブデス」いかなる時もユーモアは大事である。「空元気も元気」というのは、漫画版パトレイバーにおける後藤隊長のセリフだったであろうか。

 

11:30

警察が帰ってきた。盗難届とパスポート紛失届を受領。説明を受けたが、自分の理解力に不安がありすぎて、「ケッキョク ナニヲ スレバ イイノデショウカ……」と5回くらい聞き返した。はっきり言って今でも完全に理解した自信がない。

 

12:30

ホステルのスタッフが部屋に入ってくる。どうやら財布がホステル近くの通りで見つかったらしく、警察が届けに来てくれるとのこと。フロントで10分くらい待つと、警察が来た。現金は何故か3セントだけ残された他は全て盗られていたが、被害額はせいぜい30ユーロくらいである。財布に入っていたクレジットカード・銀行のカード・学生証・滞在許可証は無事であった。旅行の中で溜まっていたレシートが全て処分されていたのが何故か面白く感じてしまった。でも、お守り代わりにしていた建長寺の入場券は残して欲しかったな。財布が返ってきたことで、自分が盗難に遭ったことを改めて実感した。財布が返ってくるまでは、神隠しに遭ったような感じがして実感が湧かなかった。しかし、鍵をかけた(つもり)のリュックの中に入っていた財布がそこら辺の通りに落ちていて、かつ現金が抜かれたものが自分の手元に戻ってきたのである。ここにきて「あーマジで盗難なんだな〜〜〜」と会心した次第である。

 

15:00

続報が来ることを期待してホステルにずっといたが、特に何もなかった。ホテルを出て、列車に乗る準備をする。とりあえずビールを買い込んだ。今思えば食糧も買っておけば良かった。

 

16:30~23:00

ハンブルクからボンにある我が大本営までは、およそ6時間30分ほどかかる道のりである。当初の行程では、ビール1リットルほどをつまみとともにのんびり飲んでいくつもりだったが、傷心の身である故、330mlで我慢をした。列車の中では特に何もせず、ぼんやりと日本における交友関係を思い出していた。明らかにおセンチである。そして、這う這うの体で我が大本営に帰宅した。このとき自分が持っていたものは、財布とスマホを除けば歯磨きセット・タオル・ビールの空き瓶だけであった。

 

23:30~1:00

ドイツ時間の上記の時間、この文章を書いている。書かないとやっていられないのだ。当地には、日本にはそこそこいた「気の知れたオタク・奴」がおらず、このやるせない感情をどこに吐くかと言えば、「気の知れたオタク・奴」が多少は見るであろうこの場しかないのだ。明日はデュッセルドルフの領事館に行ってパスポートの再発行を申請せねばならず【偉かった点2】、本当はこんな文章を書かずに早く寝るべきなのであるが、精神安定のために必要な行為であるとブランデーを流し込みながら自分に言い聞かせている。ちょっとぐらい非合理な方が人間らしくていいじゃんね。何よりも辛いことは、旅行の写真が入ったSDカードを盗られたことである。カメラやパスポートは海外旅行保険やカネの力でどうにでもなるが、現地で獲った写真は逆立ちしても戻ってこないからである。ちなみにこの文章、飲酒しながら書いてるので後半からヒートアップしていると思うがご愛敬ということで、ヨ・ロ・シ・ク!!(番長)(故郷への郷愁) 

 

【教訓】

自分の想定外を越えた防犯をしよう(手垢の付いた教訓)

海外旅行保険には入ろう、入っておくと安心感が違う(手垢の付いた教訓)

パスポート紛失に備え戸籍謄本と証明写真は準備しておこう(手垢の付いた教訓)

覇権言語たる英語を勉強しよう。ドイツも日本も敗戦国なのだ。現実を見よう。(手垢の付いた教訓)

 

【失敗その1】

百均のショボいワイヤー錠で安心した自分が愚かであった。百均のワイヤー錠など百戦錬磨の(?)盗人にとっては屁でもないらしい。ホステルに泊まるなら長いワイヤーでボンレスハムくらいぐるぐる巻きにして自分の体にくくりつける位の勢いがあった方が良い。

 

【偉かった点1】

自分にしてはわりかし冷静に対処ができたと思う。特に、ボンの日本人男性陣に救援要請を出せたことは自分でも驚きである。プライドが高い人間にとっては、人に失態をさらし、物事を頼むというのは、切腹モノの事象なのである。

 

【偉かった点2】

パスポートの紛失・盗難にそなえ、再発行に必要な戸籍謄本と証明写真を予め日本で用意していた。わざわざ横浜から本籍がある台東区役所に行った甲斐があったというものである。台東区役所で1時間くらい待ったときは、まさか入り用になるとは思っていなかったので、面倒くさいな〜〜〜といったお気持ちであった。今となっては8月の自分に酒をおごってやりたい。グッジョブ自分。