【セトリ】1989年ドイツ民主共和国建国40周年記念国家人民軍大帰営譜【ライブ】

youtu.be

1(1:23~3:10):国家人民軍第一行進曲

2(6:32~8:12):失念……

 

労働歌メドレー

3(8:17~11:37):前奏

4(11:38~11:51):ワルシャワ労働歌(Warschawjanka)

5(11:51~12:11):クロンシュタットの水兵(Matrosen von Kronstadt)

6(12:12~12:30):間奏(ドイツ社会主義統一党党歌)

7(12:31~13:04):闘争へ(Auf, auf zum Kampf)

8(13:05~13:15):間奏(ドイツ社会主義統一党党歌)

9(13:16~14:17):一月の真夜中(Im Januar um Mitternacht)

10(14:18~15:30):小さなトランペット吹き(Der kleine Trompeter)

11(15:31~15:34):間奏(労働者のマルセイエーズ)

12(15:35~16:11):スペインの空(Spaniens Himmel)

13(16:18~17:02):失念……

14(17:03~18:03):感謝を捧ぐ、ソビエト兵の方々(Dank euch, ihr Sowjetsoldaten)

15(18:06~18:37):兄弟たちよ、太陽へ、平和へ(Brüder zur Sonne, zur Freiheit)

16(18:38~21:12):ドイツ社会主義統一党党歌(Lied der Partei)

 

ファシズム軍国主義による犠牲者の追悼

17(22:32~23:16):小さなトランペット吹き(Der kleine Trompeter)

18(23:32~25:10):同志は倒れぬ(Unsterbliche Opfer)

 

19(25:23~26:03):不明

 

20(26:55~27:51):ドイツ民主共和国国歌(Auferstanden aus Ruinen)

 

21(29:03~29:50):世界平和のために(Für den Frieden der Welt)

 

22(31:59~33:48):不明

23(34:18~33:48):ヨークシャー行進曲

 

就活雑感

就職活動が"解禁"されてから10日ほどが経過した。解禁と言っても、2月ころからダラダラと進めていた(気になっていた)ので、特に感慨はない。約40日ほどの活動を経て得た雑感を書き散らしたい。

 

1. 1日に1.5タスクしか進められない

各々の人間にはキャパシティというものがある。1,500字のレポートを書く際に7日を構想にあて3日を執筆に要する自分のキャパシティは高くない。就活でも低キャパシティは遺憾なく発揮され、1.5タスクが限界であると導き出した(1タスク:ESを一社書く, webテストを一社受検する, 面接を一回受ける・0.5タスク:ESの構想を練る)。1.5タスクの消化には正味1時間30分を要するが、この1時間30分に取り組むために10時間30分ほど「気」を練る必要がある。「気」の練り方として、無意味なインターネットサーフィン, 無意味なアニメ鑑賞, 無意味なウマのゲームがあげられる。全くもって非効率な時間の使い方をしているが、1日に1.5タスクは最低でも進められるとポジティブに捉えていきたい。3月後半から破綻しそうではあるが。

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2.説明会はメモを取って聞いた方がいい

就活以前はメモを取りながら赤べこになっているリクルートスーツの集団をあざ笑っていたが、ESの執筆にメモは非常に有用であることが分かった。「新卒採用webサイトとIR資料を読めば書けるだろw」みたいな、ものぐさな考えはかなぐり捨てた方が良いらしい。サイトとIR資料だけを参考にしてみたら、それらの文章に引っ張られてしまいなかなか執筆に苦労した。そこで、説明会を1から10まで文字おこししてみたら、だいぶ書きやすくなった。サイトやIR資料に含まれているが、換言された情報が含まれているからだ。換言された情報を用いるだけでだいぶオリジナリティが出てくるので、やっぱりメモは取った方が良い。まぁESの結果が返ってきたのはまだ一社しかないんだけどな!

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3.インターンの選考は合否にかかわらず受けた方が良い

「持たざる者」であることを自覚しながらその事実の発覚を恐れる人間(デカい主語)は、本選考に関わる可能性が低い(ようにみえる)インターンを忌避しがちである。インターンを受けない理由付けとしては、単に面倒くさいとか、費用対効果に合わないとか、資本家集団による策動とか色々後付けできるが、結局のところ市井の人間より多少はデキるという根拠が薄い自尊心が打ち壊されるのが怖かったのだ。しかし、人間は失敗から学ぶ生き物である。トライ・アンド・エラーを繰り返し、成長を進めていく。インターンの選考過程で成功と失敗を繰り返したのちに本選考に挑む人間と、裸一貫で本選考に挑む人間、どちらが有利であろうか?答えは自明であろう。面接がどのような調子で進行するのかさえ分からない人間がいきなり本選考にカミカゼ・アタックしたところで、良い結果は望むべくもないのである。インターンの選考を受け、謎の全能感を打破し、練習を積んだ方が身と精神のためであった。

 

 

なんつってる間に初面接っすよ(笑) あ~あ、就職活動の辛いとこね、これ

廃墟からの復活・総領事館へ

この文章は、リュックサック with パスポート・クレカ・一眼・現金30ユーロを丸ごと盗まれた与太郎が、「シュトゥンデ・ヌル(零時)」から生活再建を果たしていく記録である——

 

なにをなすべきか?

生活再建において、何よりも行政的な手続を一番はじめに行わなければならない。私の場合では何はともあれパスポートの再発行が最も重要である。異国の地において、外国籍である人間が自らを証明する唯一の手段がパスポートだからである。パスポートがなければ、「通路故障なく旅行」することも、「必要な保護扶助を与えられ」ることもできない。アナキストなら国家の庇護から脱せられて喜ぶかも知れないが、あいにく私はアナキストではないので、おとなしくパスポートを再発行する道を選んだ。

必要なもの

インターネットに情報はあふれているので詳細は省くが、現地警察発行の盗難証明書・証明写真・戸籍謄本or妙本が三大必要書類である。特に謄本がクセモノで、日本から持ってきていなければ盗難に遭った翌日に総領事館に駆け込む芸当はできなかった。謄本を持ってきていない場合、とりあえず日本在住の親類にお願いして謄本を取得してもらい、画像で送ってもらえば一時しのぎにはなるらしい。これ日本に親類も知り合いもいない独り身だったらどうするんですかね?今から将来が不安になってくる。独り身は戸籍謄本を100枚くらい持って行くしかないのか……?

デュッセルドルフ

午前11時にデュッセルドルフ総領事館に着く。ボンの大本営からは90分ほどの所要時間であり、感覚的には横浜の実家から都の西北まで行くのと同じであった。てっきり総領事館の入口にはデッケぇ菊の御紋が燦然と輝いてたりするものだと勘違いしており、菊の御紋を目指して歩いてしまったがゆえに総領事館の目の前を通り過ぎた後1ブロックを一周してようやくたどり着いた。想像してたより質素な入口であった。

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建物の中に入ると、「うわーコレだよコレ!いかにも祖国のお役所なフォント!」と内心で大声を上げる。祖国思い出し感動ポイントその1である。

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階段を上がると、そこには菊の御紋が燦然と輝いていた。天皇制と呼称される事実上の宗教に対する素朴な信仰心をなんだかんだ自覚しているので、菊の御紋を見たときに何か大きな権威に庇護されている安心感を感じた。祖国では感じなかったが、異国に住んでみて初めて体感した新鮮な感情であった。いかんせん大ポカをやらかしてメンタルが若干弱っているので、なおさらそういうものに敏感なのかもしれない。現政権の思うツボか?

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総領事館の中の雰囲気は完全に日本の役所であった。係の人もパスポートを盗られたマヌケな同胞に対して非常に懇切丁寧な対応をしてくれたし、15分に1人くらいのペースで祖国の同胞が訪れてくる。唯一日本の役所と異なる点は屈強な黒人ガードマンがいるくらいだ。見慣れた形式の書類に体に染みついた形式で記入を進めていく。あゝなんと順調にコトが運ぶことか!外国の役所で感じるフラストレーションなぞココでは皆無である。総領事館の中には"""日本的"""なもの、例えば日本人形や工芸品などが装飾としておいてあった。しかし、祖国への郷愁を惹起させたのはそれら「"""日本的"""なもの」ではなく、18歳選挙権を宣伝する総務省のポスターや、見慣れたパスポート申請書類等であった。こうしたポスターや書類は自分の祖国における日常生活に属するものだからであろうか。12時くらいに作業は完了し、来週の木曜日に新たなパスポートを受け取れる運びになった。

気が付けば昨日の15時くらいから何も口にしていない。傷心を癒やすためにもちょっと奮発して祖国メシを食べようと思い、デュッセルドルフで有名な定食屋に向かった。この店は日本という国家における(おそらく)標準的な社会で育った人間に対してのツボを完全に抑えていた。まず店に入ると「いらっしゃいませ」から始まり、席に座ると暖かい麦茶(!)が出てくる。そして定食にはデフォルトで豚汁(!)とゴボウ(!)のきんぴらが付いてくる。そして極めつけは「お茶のおかわりはいかがですか?」だ。ここまで来るともうノックアウト、ゲームセット、ノーサイドゲームである。なるほど現地駐在の邦人がこぞって訪れるワケだ。味の点では特筆すべきものはないが、このサービス及びレパートリーでリピート確定である。今回は唐揚げカレー定食を頼んだ。カレーは当地において作れることは作れるが面倒くさいし、もも肉に至っては骨付きで売ってるのがデフォルトであるため当地に来てから一度も食べていなかった。祖国では脇役・モブ・その他だと思っていた福神漬もなかなかニクい役割を果たしていることに気付く。久しぶりに祖国メシを外で食べて、生活再建へ向けての英気を養うことができた。f:id:cyber_woodpipe:20191123012542j:plain

 

オタクのいちばん長い日 in ハンブルク

この文章は、リュックサック with パスポート・財布・滞在許可証・学生証・ビザ・一眼を丸ごと盗まれたオタク与太郎が記す悔恨のポエムである——

 

盗難前日まで

ボン→コペンハーゲンリューベック(1泊)→キール(1泊)→ハンブルク(2泊)→ボンという4泊5日の旅程を組み、実行した。列車が船に乗って運ばれる「渡り鳥ルート」に乗ったり、ヨーロッパ北方の貿易を牛耳ったハンザ同盟の在りし日の栄光に思いを馳せたり、二次大戦中のUボートの中に入ったり、ハンブルクから往復4時間かけて戦車博物館を訪問してティーガーⅡのデカさに圧倒されたりするなど、充実した旅行を過ごしていた。いずれの宿泊先も予算の都合からいわゆるホステルと呼ばれる4~8人の共同部屋であった。コトが起こったのはハンブルクの2泊目である。コトが起こる前の夜には、いつものように地ビールを1リットルほど飲み、インターネットで遊んでいた。そして、いつものように貴重品が入ったリュックサックを百均で買ったワイヤー錠でベットにくくりつけ【失敗1】、リュックが目立たないように上着を掛けたのち、24時頃にリュックの横で眠りについた。

 

盗難当日

8:15

起床する。目覚ましをかけなくていい日だったので、気持ちの良い朝であった。ベットからお手洗いに向かう。お手洗いで歯を磨いていたときに、なにやら部屋が騒がしいことに気付く。歯磨きを終え外に出ると、いかつい武装をした連邦警察が5人くらいいた。何事かと思えば、同室にいた韓国人女性がロッカーの鍵を破られてスマホ・現金・パスポートを盗られたらしい。あらまぁ災難なことで、と呑気に自分のベットに向かい、歯磨きセットをリュックにしまおうとして、リュックがあるであろう上着の上に手をかけた。しかし、私の手は大気を切り裂き、ベッドの柔らかい感触が手に届いた。その後も2,3回ほどベッドに向かって猫パンチをしたが、手に伝わるのは自分の体温で暖かいベッドの感触のみであった。15秒くらいして、自分も盗難の被害にあったことに気が付いた。ベッドからおりて、カタコトのドイツ語で、一語づつひねり出すように、警察官に伝える。「アノ、ワタシノ リュックガ ナイノデスガ……」警察官は怒濤のドイツ語で返す。「え!あなたのリュックもないのね!そうなのね!」寝起き5分でこの事態である。思考は乱れに乱れ、「ヤー、ヤー……」と返すことしか出来なかった。

警察官の聴取が始まる。何を盗られたか?メールアドレスは?電話番号は?といった具合である。ただ、全ての聴取がドイツ語か英語で行われる。私の語学スキルは、日常会話ならドイツ語の方が多少はできるが、英語はからっきしという具合である。しかし、会話は自分が最も苦手とするところであり、これから何回も「モウスコシ ユックリ シャベッテクダサイ……」と何度も言うハメになる。ちなみに韓国人女性は英語が話せるのであんまり苦労してなかった。みんなも英語を勉強しよう。とりあえず盗難届とパスポート紛失届をもらうまで部屋に待機すればいいということは理解した。

 

9:30

警察が出て行った後、親上に連絡。クレジットカードの停止をする。また、ボンに居る日本人男性陣に連絡をして、助けを求める可能性を示唆する【偉かった点1】スマホは充電するために自分の体の下に敷いて寝ていたため、被害に遭わなかった。不幸中の幸いである。スマホにはハンブルクからケルンへ帰る列車の乗車券が入っており、とりあえず退路は確保できていたことが精神の安定に寄与していたのかも知れない。また、現地で開いたオンラインバンクはスマホがあれば現金を引き出せたため、生存に支障は来さなかった。ちなみに同じ被害にあった韓国人女性はスマホも盗まれており、かなり取り乱していた。「iPhoneを探す」アプリのために自分のiPhoneを貸してあげたが、結局見つからなかった。

韓国人女性「iPhoneを貸してくれませんか」

ぼく「いいですよ」

韓国人「ありがとう」

ぼく「ケンチョナヨ〜〜〜」

韓国人「(笑いながら)ダイジョウブデス」いかなる時もユーモアは大事である。「空元気も元気」というのは、漫画版パトレイバーにおける後藤隊長のセリフだったであろうか。

 

11:30

警察が帰ってきた。盗難届とパスポート紛失届を受領。説明を受けたが、自分の理解力に不安がありすぎて、「ケッキョク ナニヲ スレバ イイノデショウカ……」と5回くらい聞き返した。はっきり言って今でも完全に理解した自信がない。

 

12:30

ホステルのスタッフが部屋に入ってくる。どうやら財布がホステル近くの通りで見つかったらしく、警察が届けに来てくれるとのこと。フロントで10分くらい待つと、警察が来た。現金は何故か3セントだけ残された他は全て盗られていたが、被害額はせいぜい30ユーロくらいである。財布に入っていたクレジットカード・銀行のカード・学生証・滞在許可証は無事であった。旅行の中で溜まっていたレシートが全て処分されていたのが何故か面白く感じてしまった。でも、お守り代わりにしていた建長寺の入場券は残して欲しかったな。財布が返ってきたことで、自分が盗難に遭ったことを改めて実感した。財布が返ってくるまでは、神隠しに遭ったような感じがして実感が湧かなかった。しかし、鍵をかけた(つもり)のリュックの中に入っていた財布がそこら辺の通りに落ちていて、かつ現金が抜かれたものが自分の手元に戻ってきたのである。ここにきて「あーマジで盗難なんだな〜〜〜」と会心した次第である。

 

15:00

続報が来ることを期待してホステルにずっといたが、特に何もなかった。ホテルを出て、列車に乗る準備をする。とりあえずビールを買い込んだ。今思えば食糧も買っておけば良かった。

 

16:30~23:00

ハンブルクからボンにある我が大本営までは、およそ6時間30分ほどかかる道のりである。当初の行程では、ビール1リットルほどをつまみとともにのんびり飲んでいくつもりだったが、傷心の身である故、330mlで我慢をした。列車の中では特に何もせず、ぼんやりと日本における交友関係を思い出していた。明らかにおセンチである。そして、這う這うの体で我が大本営に帰宅した。このとき自分が持っていたものは、財布とスマホを除けば歯磨きセット・タオル・ビールの空き瓶だけであった。

 

23:30~1:00

ドイツ時間の上記の時間、この文章を書いている。書かないとやっていられないのだ。当地には、日本にはそこそこいた「気の知れたオタク・奴」がおらず、このやるせない感情をどこに吐くかと言えば、「気の知れたオタク・奴」が多少は見るであろうこの場しかないのだ。明日はデュッセルドルフの領事館に行ってパスポートの再発行を申請せねばならず【偉かった点2】、本当はこんな文章を書かずに早く寝るべきなのであるが、精神安定のために必要な行為であるとブランデーを流し込みながら自分に言い聞かせている。ちょっとぐらい非合理な方が人間らしくていいじゃんね。何よりも辛いことは、旅行の写真が入ったSDカードを盗られたことである。カメラやパスポートは海外旅行保険やカネの力でどうにでもなるが、現地で獲った写真は逆立ちしても戻ってこないからである。ちなみにこの文章、飲酒しながら書いてるので後半からヒートアップしていると思うがご愛敬ということで、ヨ・ロ・シ・ク!!(番長)(故郷への郷愁) 

 

【教訓】

自分の想定外を越えた防犯をしよう(手垢の付いた教訓)

海外旅行保険には入ろう、入っておくと安心感が違う(手垢の付いた教訓)

パスポート紛失に備え戸籍謄本と証明写真は準備しておこう(手垢の付いた教訓)

覇権言語たる英語を勉強しよう。ドイツも日本も敗戦国なのだ。現実を見よう。(手垢の付いた教訓)

 

【失敗その1】

百均のショボいワイヤー錠で安心した自分が愚かであった。百均のワイヤー錠など百戦錬磨の(?)盗人にとっては屁でもないらしい。ホステルに泊まるなら長いワイヤーでボンレスハムくらいぐるぐる巻きにして自分の体にくくりつける位の勢いがあった方が良い。

 

【偉かった点1】

自分にしてはわりかし冷静に対処ができたと思う。特に、ボンの日本人男性陣に救援要請を出せたことは自分でも驚きである。プライドが高い人間にとっては、人に失態をさらし、物事を頼むというのは、切腹モノの事象なのである。

 

【偉かった点2】

パスポートの紛失・盗難にそなえ、再発行に必要な戸籍謄本と証明写真を予め日本で用意していた。わざわざ横浜から本籍がある台東区役所に行った甲斐があったというものである。台東区役所で1時間くらい待ったときは、まさか入り用になるとは思っていなかったので、面倒くさいな〜〜〜といったお気持ちであった。今となっては8月の自分に酒をおごってやりたい。グッジョブ自分。